に詳しいからといって、男性の委員ばかりが集まってしまうと、どうしても男性は権力や組織を中心に考えがちになってしまい、適切な判定ができない可能性もある。女性は自分があそこで生活したらどうするかと生活の原点から考えることができるので、委員の半分は女性にすべきと思う。
●そして地方分権に大きな力を持っているのは女性であり、あらゆる所に女性の力が半分入る、というのが、地方分権が目指すべき大きな目標である。なぜかというと、地方分権は下から盛り上がってくる生活を中心にして出来上がってくる権利であるからである。
●地方分権にするのは、今や地方が高度経済成長の後を受けて、それぞれの経済力を持ち、十分に自分の力で県市町村を経営できる情勢が出来たからである。それは同時に下から盛り上がる都道府県市町村を作っていくことに他ならない。その際そこに、女性の大きな力が加わってしかるべきであると私は考えている。
●平成元年の8月に三加和町の少年神楽を私の劇場で上演したが、その時、アメリカ、ヨーロッパ、アジアから二十才前後の若い音楽家が300人ぐらい来場していた。子供の神楽だから単調な舞いであり、伴奏の音楽も、太鼓と笛と鐘しかないので、見ていたら退屈だろうと思った。上演が2時間半に及んだが、この間、外国から来た若い音楽家達が一人も席を立たなかった。終わってからアメリカの音楽家たちが、こういうすばらしい芸能を、日本人は260年も前から子供に伝えてきたのかと、涙を浮かべて話してくれた。今盛んに国際化が言われているが、国際化とはお互いが手をとって生活を平等にし、文化をお互いに交流することである。この三加和町の神楽の経験から、その地方が個性を持てば持つほど国際性を持ちうるんだという事実を私は自分の肌で感じた。世界中の人々の心が荒れて、みんなふるさとを欲しがっている中で、自分のものをしっかり持つことにより、そういう心に憧れて、人はやってくるといえる。
●そうした観点から、日本人が一つ大きな遅れをとっているのは、観光である。1990年、4億2000万人の人が全世界で観光に出ており、2000年にはこれが9億人になると予想されている。観光が一番集中するのがアジアの国々であるが、観光をもって国の産業を起こそうと取り組んでいるのは地域の住民である。タヒチ、バリ島、典型的なのはハワイで、住んでいる人たちが自分たちの芸能を披露している。日本においても、そうした文化を起こすということが世界につながるという要素を内側に有している。

 

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●村おこし町おこしをしようとする場合、行政はすぐに道路や橋など、後で形に残るものを考える。確かにそれは、便利なものであるが、その町、その村だけのものとはならない。その町、その村を起こすために必要なのは、過疎だから何をやってもだめなのだというあきらめが充満している町や村の人々の心を奮い起こすことだと考える。
しかし、残念なことに日本には心にかけるお金は、国にも自治体にも文化会館にもない。
地方分権で文化を起こそうとする時には、文化のためならば年度を超えてお金が使えるという制度に変える、あるいは使途を柔軟にできるといった積極的な工夫を行うことが絶対に必要である。
●最後に、地方分権の一番の基本のは、一つは今自分はこれでいいのかという反省に基づいた向上心、もう一つは、今自分は自分以外の人に何をすることができるのかという、人のために生きてこそ人という奉仕をする心である。地方自治はこれでいいのか、住民はこれでいいのか、現状をまず実際に即して反省して、そしてそこから良き次の時間を作ることである。
人のために生きてこそ自治体という考え方を、公務員全体が持たないと、地方自治はほとんど不可能だと思う。
●戦後、親子関係において、孝というものが失われ、今や老人問題が日本の社会問題のトップに座ってしまった。そして未だ解決の方法が見いだせない状況にあるが、その基本的な原因は、家族を作ることができなかったことにある。権力とか権威とかの根底にあるのは心であり、まずそれを作ることから地方分権を始めていただきたいと考える。政治は常に善を構築するものでなくてはならない。そして、その具体的なあらわれとして、みなさんの市町村に、文化が見事に、個性的に、花を開くであろうことを確信している。

 

 

 

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